「私さえ我慢すれば」という考えを止めるための愛ベースの見方

幼い姉妹

愛未(あいみ)です。

 

ここんとこ、より一層、本当にもう辞めたいなぁ〜捨てたいな〜と心底実感しています。

 

「私さえ、我慢すれば良い」と思ってしまうこと

 

考える間もなく、オートマチックに我慢してしまうこと

 

今回は・・・

 

  • なぜ「私さえ我慢すればいい」という考えになってしまうのか?
  • なぜ、我慢できてしまうのか?
  • 我慢してしまう自分を、どうしたら変える事が出来るのか?

 

考え、掘り下げ、脱するための方法を書いていきたいと思います。

 

恋愛、仕事、人間関係・・・あらゆるところで「私さえ我慢すれば」と思ってしまう方、一緒にその理由を考えてみませんか?

 

ポイントは「愛ベースで、その我慢を見ること」

 

あいみ

若干、今回も怒っています。(仕事のことで)私は、自分の感情にタイムリーなことを、どうしても文章にしたくなるようです。

本当は違うことを書こうと思っていたんだけど、書き出しても全然乗ってこないんですよね〜

私、文章を書いている時の「ウォー!」と瞬きするのも忘れるくらいの猛烈に入り込んでタイピングしている時間が好きなのです。(ドライアイには気をつけよ)

 

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「私さえ我慢すれば」この考えを生んだ出来事を思い出してみる

 

しっかり者の長女

 

妹が生まれたこと、家庭の事情・・・母を助けるためには、家族を助けるためには・・・

 

本当はやりたくないことでも我慢してやらないといけない

 

そして、我慢してやるのも、それだけではダメで・・・

 

なんでも、もっと頑張って、完璧にこなさなければいけない

 

十分やっていても足りないと感じて「もっと頑張らなきゃ!もっと頑張らなきゃ!」と常に不足感を感じていました。

 

その道には喜びもあります。家族が喜んでてくれた時、その頑張りを認めてもらえた時。

 

でも、すぐにまた「足りない」

 

最初の我慢が、もっともっと我慢を呼び、自分が我慢をしていることにも気づかなくなっていました。

 

しっかり者の仮面を被ったんだけど、その仮面が自分と同化してしまって、「これが私」って思い込んでしまっていました。

 

でも、それって、本当に苦しくて、しんどいですよね。

 

 

中学時代に仲間はずれになった時は、毎日が絶望だった

 

どんな理由だったのかは、今となっては分からないし、相手にも思う事があったのだろうとは思うのですが、私は中学時代に仲間はずれになったことがあります。

 

思春期の頃の仲間はずれって、本当に拷問で、死の恐怖に近いと私は思います。

 

身体や心の変化から、自分のことについて、すごく敏感になっていて、自意識過剰な状態です。

 

大人の私は「私の価値を決めるものではない」と分かります。

 

でも、その当時の私にとって学校というのは、世界の大半を占めていました。とっても狭い世界だけれど私の全てだったんです。

 

最も多感な時期の「人から受け入れてもらえない」「人から拒絶される」経験。

 

「二度と、こんな思いをしたくない!」と強く思いました。悲しくて、辛くて、毎日が怖くて・・・

 

他人に優しくしたら、拒絶されることもないだろう。(我慢してでも)

誰にでも合わせられる、誰からでも好かれる人になろう。(我慢してでも)

 

我慢して、自分を殺してでも、相手のためになること、相手を喜ばせないといけないと思い込みました。

 

じゃないと、嫌われて、1人になっちゃう!

 

あとは・・・

 

私が変だから、仲間はずれになったんだとも思いました。「私って人と上手く付き合えないんだな。矯正して良い人にならないといけないな。」

 

もともと、小さい頃から大勢で遊ぶことが得意ではありませんでした。(幼稚園でみんなで外で遊ぼうと言われるのが超絶苦痛)

 

小学生の頃は休み時間は、ずっと本を読んでいる子でした。競泳選手で放課後友達と遊ぶこともありませんでした。

 

自分は、周りとは少し違うなぁと漠然と感じていたのだと思います。

 

今、考えると、そんな子はいっぱいいると思うんですよ〜なのに「外で元気に走り回って、友達が多い子が良い!」って思い込ませ過ぎでしょ!?って思う!(また怒っている 笑)

 

 

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人に合わせて良い顔するやつ!って自分のことも好きじゃなかった

 

20代の頃、いっぱいいっぱいになっていること、我慢しているということに気づいていませんでした。

 

「人に合わせてばっかりな八方美人なやつだな〜」って自分のこと、あまり好きではありませんでした。

 

今では、こんな風に感じること・思うこと・考えること、ブログに書きまくっていますが、以前は人に自信を持って「私はこう思う!」って言えませんでした。

 

我慢して、その人その人それぞれに合わせる。そればっかり。

 

私が、自分の意見を言葉にすることで相手の表情が変わったりするのが、とても怖かったです。(今でも、敏感なことには変わりないけれどね。エンパス気質です。)

 

エンパス関連記事:繊細すぎて生きづらい方へ。HSPやエンパスって知ってますか?共感力との付き合い方

 

表面上は素直な無邪気な人のようでいるけど、本当の私は、そんなに良い人じゃない。だって、実際の私は・・・

 

  • 我慢ばっかりして、しっかり者でいようとしたり、人に嫌われないように、人から拒絶されないようにしている。
  • 家に帰ったら、人に気を使いすぎて毎日グッタリ疲れている。
  • 実は、周りに対して怒り満載。
  • なのに断れないし、自分が助けてほしい時には「助けてほしい」って言えないでいる

 

こんな風に思っていました。

 

なんで、こんなに我慢してやっているのに、みんな私を粗末に扱うの!?って怒っていました。

 

愛ベースで自分の我慢を見てみると、スッと楽になって泣いてしまう

 

心理学を勉強してきて思うことは「見方を変える」「視点を変える」ということは、めっちゃ大切!ということです。

 

なぜ「私さえ我慢すれば」と思うようになったのか?ネガティブな理由や原因を考えようと思えば、いくらでも出来てしまいます。自分に対しては、猛烈に厳しい私たちですもんね〜

 

でも、「そこに愛があったのなら?」「愛があるから、その行動を私が取っているのであれば?」

 

  • お母さんを、家族を助けたかったんだね
  • 自分が我慢する方法しか、小さい頃の私は分からんかったんだね
  • 私の方向いて欲しい!愛して欲しい!って、寂しかったんだね
  • 周りの人に優しくしたかったんだね
  • 笑って、幸せでいて欲しいと思ったんだね
  • でも、そのやり方が、やっぱり我慢することだと思い込んでしまったんだね

 

私は、一生懸命なだけだったんです。子どもだから、出来ることが少なくて「我慢」を選んだだけだったんです。

 

この視点で見るためには、自分を客観的に見ることです。自分を親友に置き換えて、自分の行動を見てみてください。

 

  • めっちゃ、いいやつ
  • めっちゃ、優しくて愛のあるやつ
  • 愛すべき存在、こんな人を大切にしたいなぁ〜

 

って思いませんか?

 

あとね、私は「自分の中に、こんなにいっぱい愛があるのか〜」と思うと、泣けてきてしまうのです。嬉しいのか、なんなのか分からないけれど、ジーンと心地よい感覚になります。安心します。

 

まず自分、そして周りの人たち。自分がまず幸せになる。

 

これ、結構最近は当たり前に言われていることですね。

 

でも、実際の日々の行動の中では、出来ないことって多い。

 

というか、「分かっているけれど、今回に限っては自分をまず優先するとか、出来ないやろ〜」って思い込んでしまうことが多いですよね。そんな時は・・・

 

「これはやりたくない」「これは好きじゃない」「これは我慢してしまっている」って気づくだけで良いんです。

 

次は、我慢する選択をしないようにしよう。好きな方を選ぶようにしよう〜っと!勉強になったわ〜って思っとけば良いです。

 

ついでに「ホンマ私は我慢とか苦行とか好きやな!ドMだわ〜」って笑えたら、癒されます。

 

しょうがないよね〜我慢するしか愛し方を知らなかっただけだもんね〜でも、これから変えていこうね〜挑戦していこうね〜でOK!

 

そう思えたら、我慢ではなく、好きなこと、やりたいことをどうやったら選べるのか?って、前向きに考えられるようになるんですよね。

 

自分を責める必要はないんです。だって、愛があるからこその我慢なのだし!何にも悪いわけではないんですから。

 

自分の取り扱い方を人に伝えることは、愛である。

 

西野カナさんの「トリセツ」ですよ!(あまり聴いたことは実はないけれど、歌詞読みました。)

 

相手が「私さえ我慢すれば」と我慢して、怒りを溜め込んで、爆発されて、距離を置かれたら・・・私はめっちゃ悲しいです。(私が思いっきり、やってたんですけれど)

 

「何があなたにとって良いことで、何がダメなのか、教えてくれ!」って思います。

 

恋愛も、人間関係も「察してくれ」が多かった私。だって、私が頑張って察しているし、感じるんだもの!(エンパス気質)

 

「嫌そうな感じ」とか「彼は、こんな感じで、あれがそうなって、これは嫌なのね」とか察せる部分もあるんだけれど、実際に話して見ると、その奥の奥の本心はやっぱり、本人にしか分からないんだよな〜って実感しています。

 

「我慢」は察せるからこそ出来てしまう。

でも、本当に我慢が必要なのかは、相手とコミュニケーションしてみないと分からない!

 

私の超絶苦手分野なのだけれども、少しずつ出来てきてるので、褒めながら進んでいきたいところです。

 

「もういい加減、我慢はいりませーん」と匙を投げた!

 

少しずつ「私さえ我慢すれば」を捨てて、自由になってきたなぁ〜って思って嬉しかったんです。心理学バンザーイ!って浮れてました。

 

でも、我慢していることはいっぱい積み重なってたんでしょうね〜1つ潰せば「あ〜これも我慢している」って気づいちゃって、もう大変!って感じの私です。笑

 

もう、いらんから〜

神様(ハイヤーマインド)どっかに持っていてください〜

私、自分に素直になりますから〜

 

って言ってみたんです。心の中でね。(家だと、声に出して言ってしまうこともありますけれどね)

 

「私さえ我慢すれば」という考えを、捨てねばならん!と強く思うと、逆に強く握りしめてしまいます。

 

もっと気長に緩やかにあったかい気持ちで向き合っていければ良いんですよね。

 

こうやって、ブログを書いているうちに、今回の私の怒りもスッと溶けていきました。

 

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幼い姉妹

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ABOUTこの記事をかいた人

心理学大好きな自分の心を見つめることが趣味の変態です。

『ありのままの自分を愛してあげる』をテーマに、人生なんだか幸せ〜人生楽しい〜自分大好き〜と思えるようになる方法を書いています。

個性的なものが好きで、目立ちたがり屋のくせにシャイです。

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